- 映画音楽の超巨匠で、2020年に亡くなったエンニオ・モリコーネさん。
- 彼の生前の密着取材をふんだんに織り込みながら、2021年に完成したドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』が日本でも公開されたので、1月中旬に鑑賞してきました。
- いろんな意味で(良くも悪くも)「やれやれ…」っていう気持ちになる映画でした。
見に行った映画館はこちら。
先日、「映画館を含むこの施設の歴史」を展示するギャラリーを見てきたばかりのラ チッタデッラ内のチネチッタで鑑賞してきました。
このギャラリー見学時に、本映画の公開を知った次第です。
では、引き続き「やれやれ…」だったポイントを列記します。
やれやれ…① 終始仏頂面のモリコーネさん。
お名前はもちろん、数々の映画音楽は何度も耳にしたことはあるのですが、ご尊顔を拝したのが初めてだったこともあり、こんなに笑わない人だということをこれまで全く知りませんでした。
作曲中はもちろん、本作品のインタビューを受けている間も、コンサートで指揮棒を振っている時も、アカデミー賞を受賞した時ですらも、目を細めて笑うようなシーンはほとんどありません。
ニコニコしてりゃいいってわけでもないですが、モリコーネさんのこの愛想のなさが、この後の「やれやれ…」にも通底してくるんだと思います。
やれやれ…② 映画音楽づくりに葛藤していた。
これは「血の滲むような葛藤と努力の中から、このマエストロが膨大な数の映画音楽を生み出した」ということでなく、映画音楽に関わること自体について「こんな商業的な仕事をやってたら、音楽の師匠に非難されちゃうじゃん。カッコ悪いじゃん。マカロニウェスタンがヒットしたら、そんなテイストの曲ばっかりリクエストされるじゃん。世間はオレのこと全然分かってくんないじゃん(←意訳含む)」という、コンプレックスむき出しの過去エピソードが本人の口から語られるのです。
ご本人には悪態をつくつもりはなかったかもしれませんが、私は「あぁ、ずいぶんと屈折した気持ちで映画音楽を作ってきたんだなぁ」としみじみせずにはいられませんでした。
まぁ、それで数々の名曲の価値が低減することなど全くありませんが、正直、かなり意外な一面を見た気がします。
やれやれ…③ 何度か逃したアカデミー賞。
過去に何度か受賞を確実視されていたにも関わらず、受賞に至らなかった事例が取り上げられていて、業界周辺から「アカデミーはモリコーネに謝罪すべき」みたいな声があがったエピソードが描かれていました。
見ているこちらは「いや、なんで謝罪? おかしくね?」と思いつつも、本人がインタビュー内で「(アカデミー会員には俺の素晴らしさを)理解してもらえない」的な不満を仏頂面で語ったりするもんですから、「まぁ、悔しいのは分かるけど、そこまで未練がましく振り返らなくてもいいのでは…」という印象です。
とはいえ、「1988年の第60回アカデミー賞において、モリコーネ自身は名作『アンタッチャブル』で作曲賞ノミネートされたものの、結局は坂本龍一らがオスカーを勝ち取り、よりにもよってその受賞作『ラストエンペラー』は長年モリコーネとタッグを組んできたベルナルド・ベルトルッチ監督の作品だった」という壮大なオチ付きのエピソードは、さすがに「あぁ、モリコーネさん、そりゃツラいよね。さぞやプライドも傷ついたんでしょうね…」と同情したくなりました。
モリコーネさんは2006年に名誉賞をもらったあと、2015年に『ヘイトフル・エイト』でついに作曲賞を初獲得しています。
この受賞も、実は「名誉賞なんて、半分引退したような年寄りにあげる賞じゃねーか。『何度もノミネートされてるのに受賞できてないから、リタイアする前の記念として名誉賞をあげます』ってか? 『お前はもう終わりだ』って烙印押しにかかってきたっつうことか? よーし、見てやがれアカデミー!」みたいな怨念パワーのなせる技だったんじゃないかと妄想してしまいました。
モリコーネさん、怖いです。
やれやれ…④ 師事した作曲家との和解(復讐?)。
若いモリコーネさんは、偉大な作曲家に師事。 → なのに映画音楽の仕事をすることになり、師匠から見下された(と本人が感じた) → 時が経ち、ある映画の音楽の仕事で自分でも成功を実感し、高い評価と名声を得る → 昔の師匠が和解しに(頭を下げに)やってくる。
と、こんなエピソードが出てきますが、これまた「この師匠、ホントにそこまで映画音楽を侮蔑してたのか? モリコーネさんを見下していたのか? 例によってモリコーネさんの屈辱コンプレックスによる妄想だったりしないの?」という気がしたのですが、本映画内ではわりと美談として描かれていますので、ぜひ実際にご覧になって判断してみてください。
最後に。
このドキュメンタリー映画には、過去の記録映像だけでなく本作品用として撮影されたモリコーネさん本人へのインタビューシーンがふんだんに使われています。
おそらく、かなり長期間・長時間にわたるインタビュー撮影だったんじゃないかと思います。
で、完成したのは2021年なので、ご本人はこの映画を見ることなく2020年に亡くなったということになります。
ご本人としては、「俺と一緒に仕事をした監督連中はもちろん、ある意味ライバルだった映画音楽の巨匠連中まで登場し、俺への賛辞を語りまくってるじゃねーか。やっと俺の本当の偉大さが理解されたってことだな。いーねー。嬉しいねー。死んだ後でもたまらんねー。でも、だからといって満面の笑みなんて(嫁以外には)見せてやらんぞ。ニンマリ」みたいな感じなんじゃないかと推察する次第です。
映画好きの方には、ぜひ鑑賞をオススメします。
【余談】
『ラストエンペラー』の音楽を担当した坂本さんは、「当時、死に物狂いで2週間で45曲を仕上げた。シーンの尺に合わせて作ったのに、その後の編集で尺が変わったりとか、最終的には半分の曲しか使われなかったりして、がっかりした」という趣旨の発言をいろんなところでなさっています。
それだけベルトルッチ監督は妥協しない厳しい映画人だったのかもしれませんが、一方、本作のモリコーネさん自身のインタビューだと「作った曲をベルトルッチにすごく気に入ってもらった。喜んでもらえた。自分でもいい出来だったと思う」的な言葉が繰り返されていた印象があります。
イタリア人同士だから気心が通じ合っていたのか、それとも坂本さんの語るベルトルッチ像が実態であり、モリコーネさんは話を盛りまくっていたのかは、監督もモリコーネさんも亡くなった今となっては、確かめる術もありません。
坂本さんがベルトルッチさんと組んだ別の映画においては、監督から「とにかく悲しい曲を作れ」と言われ、がんばって悲しい曲を作って聞かせたら「悲しすぎる」と言われてボツになったというエピソードも聞いたことがあるので、おそらく、かなりわがままな(自分の芸術感に忠実な)監督さんなんだと思われます。
そういう意味では、やはりモリコーネさんですら、いろいろ苦労させられたことはあるんじゃないかと想像しますが、それでもモリコーネさんは「彼は喜んだ。彼は気に入った。俺すごい(←蛇足w)」としかおっしゃらないので、まぁ、そういうことだと考えることにします。笑
なんか、このイタリア人、妙に屈折してて嫌いになれません。
Link(関連サイト)
映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』の公式サイト。↓
予告編。↓
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