初めての山梨旅行【その7:三社参り@清里】

初めての山梨旅行【その7:三社参り@清里】
  • 初の山梨旅行の一環で、八ヶ岳のふもと(北杜市の清里周辺)に行って古い神社を巡ってきました。もちろんここも「宮沢賢治の心の友・保阪嘉内」の“ゆかりの地”です。

 

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When(訪問・利用・購入時期)

  • 2019年10月某日。

Who(同行者の動きなど)

  • 同行メンバー含め、総勢4名で訪問。

Why(訪問・利用・購入目的&期待値)

今年2月に放送されたNHK(Eテレ)のドキュメンタリー番組で宮沢賢治と保阪嘉内を取り上げていて、そこでこんなくだりを目にしました。

  • 冬に吹き降りる八ヶ岳おろしの風を、地元の人々は「風の三郎」と呼んで石の祠(ほこら)に祀っていた。
  • 嘉内は甲府中学時代、この「八ヶ岳山麓風の神様を祀った石の祠(当時すでに朽ちていた)」を訪れ、それをスケッチした。そのくらい嘉内は風の神に強い関心を持っていた。
  • 賢治は嘉内からこの話を当然聞いていたであろうし、ここからインスピレーションを受けて、童話『風の又三郎』が創られたのではないか。
  • ちなみに現地に今残っているのは「権現神社」という石の祠だけであり、「風の三郎を祀った祠はなくなっている。(権現神社の映像が流れる)

で、今回山梨旅行をするにあたり、この件について情報収集をしていたら、ペンションバーニーズさんのサイトの中で「清里フットパス お薦めコース 北甲斐亭エリア 三社参りの道」というハイキングマップの一部を見つけました。

そこにはこんなことが書かれています。

戦前までこの地(北杜市高根町清里)には「三つの社(やしろ)を巡り歩きながら雨乞い・晴天・暴風雨除けを祈願する風習」があった。

雨乞いをするのは八ヶ岳権現神社

晴天を祈るのは日吉神社

そして、暴風雨除けを祈願するのが「風の三郎社」(!)。

当地は宮沢賢治の『風の又三郎』のヒントになった舞台かもしれないという推測もされ、近年人気になった。

これらを巡るハイキングコースです。

NHKの番組では「なくなっている」とされた「風の三郎を祀った『風の三郎社』」が今も別のところにあって、しかも3つの社を回る風習がかつてあったのだとしたら、これはもう、3つまとめてお参りするしかないでしょ! 追体験するしかないでしょ!

とまぁ、そんなノリで現地へと向かいました。

How Much(消費コスト)

  • ガソリン代を別にすれば、特にコストはかかりません。

その1:権現神社&五幹の松

概略

  • まずは雨乞いをするためのお社、権現神社に行ってみます。
    • NHKの番組では「かつて『風の三郎社』もあった」とされた場所です。「壊れた石の祠をスケッチしていた」のですから、嘉内が来たのもここなのでしょう。
  • 神社の横には幹が分岐した大きな松(五幹の松)も生えています。

所在地

  • 「三社参り」の全体ルートからご覧ください。
    • 便宜的に「そば処清里 農産物直売所」横の十字路を起点(1番)として、各スポットにナンバリングをしてみました。
  • 2番で車を降り、そこから徒歩で3番の「権現神社&五幹の松」に向かいました。

1番 → 2番 → 3番のルートを拡大。
1番 → 2番は車で行けます。
2番 → 3番は徒歩ルートです。
2番から1番へと戻る際、道幅の関係でUターンが難しく、途中まではバックで戻ることになるのでお気をつけ下さい。

Photo(記録写真)

2番スポットで車を降りると、左手にこんな階段があったので、登ります。
豊富な案内板が。「五幹の松」の案内があるので、ここで合ってそうですね。
八ヶ岳権現社(権現神社)の案内も、ちゃんとありました。
この先の遊歩道は草木がかなり生い茂っていたので、汚れてもいい服を着ていきましょう。
小ヤブを2分ほどかき分けて進むと、五幹の松が見えてきました。
残念ながら、分岐した幹の1本が枯れて倒れてしまっています。
地元教育委員会による案内板。
で、五幹の松の裏にひっそりとたたずむ石の祠。
これが権現神社なんですね〜。
古びた石の祠と、比較的新しい石碑が並んで建ってます。
斜めになった権現神社。想像以上に渋すぎ。
石碑には「風切りの松 風の三郎」とあります。
これが、「かつてここに風の三郎社もあった」ことを示しているのか、「防風林として植えられた松並木を“風の三郎”と呼ぶのだ」と説明しているのか、今一つハッキリしません。NHKの番組ではこれを映しながら「今はここに風の三郎社はない」と言っていたので、いずれにせよ、そういうことなんでしょう。

コメント

  • 案内板によれば「地区の代表が毎日当番で代参」していたそうですが、その風習が廃れてからずいぶん時が経ってしまったことを感じさせてくれるお社でした。

その2:日吉神社

概略

  • 次は晴天の祈りを捧げる「日吉神社」です。
    • 先ほどの「権現神社」から歩くこともできますが、車で行った方が楽チンです。

所在地

  • 3番スポット(権現神社)から1番を経由して4番へと向かいます。

1番から4番へのルートを拡大。

Photo(記録写真)

道路沿いに建つ、想像よりも立派な石造りの鳥居。
参道の両側にはのぼりも立てられていて、さっきの「権現神社」よりはきちんと管理されている印象。
のぼりが立てられたのは、平成6年の5月。
今度は木製の鳥居があって、さらに石段が続きます。
こんな立派な杉が生えているので…。
根っこの成長に負けて、石段が傾いたりしてますが、それが歴史を感じさせます。
本殿が見えてきました。
本殿の右側には、踊り(伝統芸能?)を奉納する舞台も用意されてます。
本殿は、この建屋の中にあります。
氏子の皆さんに大事にされてきた様子がうかがえます。
建屋の中の本殿
当時の宮大工さんの丁寧な仕事ぶりが伝わってきました。
本殿を斜めから。
細工が美しい。
境内の傍らに、権現神社で見たような石の祠がズラっと並んでいました。
なんか、霊験あらたかな雰囲気。
参拝を終え、参道を降りる途中で撮影。
これぞ「ザ・日本の里山」って感じがします。

コメント

  • 三社の中で最も立派なのが、ここ日吉神社でした。この地区においては雨乞いや暴風雨除けよりも「晴天」の祈りが重視されていたということなんでしょうかね。

その3:風の三郎社

概略

  • 3つめは、いよいよ「風の三郎社」です。役割としては“暴風雨除け”です。
  • 冒頭で紹介したペンションのサイト内で見つけた「三社参りハイキングマップ」チラシを参考にしたものの、場所の特定が最も難しかったのがこのお社でした。
  • しょうがないのでぶっつけ本番で現地に向かい、地元周辺で出会った数人の方々から、行き方だけでなく、風の三郎社にまつわるエピソードなども教えていただきました。ありがたい限りです。

所在地

  • 5番スポットが「風の三郎社」です。
    • ゴール直前から徒歩ルートとなります。

4番(日吉神社)からのルート。
太線部分は車で行けます。
で、公道がカーブする内側部分(空き地)に車を停め、そこから畑のあぜ道(太線部分)を歩っていくと5番部分に風の三郎社がありました。
誰かに教わらなければ、自力ではまずたどり着けなかったと思います。

Photo(記録写真)

あぜ道を進むと、2本ののぼりが見えてきました。このルートで間違いなさそうです。
のぼりの先を見ても、まだここからだとお社は見えません。
のぼりには「風の三郎社」ではなく、「利根神社」の文字が。(理由は後ほど)
のぼりの間を、木立に向かってさらに歩くと…。
ようやく木製の鳥居と赤い屋根のお社が見えてきました。
実はここ、赤い屋根は「利根神社」の社で、その隣にチョコンと添えられている石の祠が「風の三郎社」なんだそうです。
利根神社側から撮影。
風の三郎社側から撮影。
渋すぎる…。
びっしりと苔むした祠の屋根。
永年、風雪に耐え続けてきた結果かと。
お参りを終えて、鳥居から見た景色。
遠くに八ヶ岳連峰が見えました。
この山から吹いてくる暴風雨(八ヶ岳おろし)を鎮めるべく、風の三郎社ができて、嘉内がそれに関心を抱いてスケッチし、最終的に賢治の『風の又三郎』の創作につながったのだとすれば、感慨深い物があります。

コメント

地元で道案内をして下さった方は、こんなことまで教えてくれました。

  • その昔、この「風の三郎社」は、沢の向こう側の「権現神社」と並んで建っていた
    • ↑NHKの番組の説明と一致しますね。
  • しかし、戦前のどこかのタイミングで「三社のうちの1つぐらいは、沢のこっち側にあってもいいだろ」ということで、「風の三郎社」を(ほぼ勝手に)今の場所に移した人がいた。
  • しかしその移した本人が亡くなり、三社参りの風習も廃れていく中で、「風の三郎社」の存在が徐々に忘れられていってしまった。
    • ↑その過程において、地元の人がこの場所を次第に「(もとから存在した)利根神社」としてしか認識しなくなっていったとしても不思議じゃないと思います。
  • 地元の歴史に詳しい人間の中には、賢治と嘉内の関係をふまえ、「嘉内だけでなく、賢治もこの地を間違いなく訪れているはずだ」と主張する人もいる。
    • ↑ただし、この逸話を私に教えてくれた方は「生前の賢治の行動や足跡はかなり正確に判明しているので、それをふまえると賢治がこの地に来たというのは考えにくいんだけどね」と笑っていらっしゃいました。

Good(イケてる点)

  • 風習としては廃れてしまった「三社参り」の形跡が今も(かろうじて)残っていて、ちょっとした歴史ミステリー探訪ができた。
  • 「こんな里山が、観光地として有名な『清里』の一部である。いや、むしろ、当地こそが清里の原風景である」と実感できた。

Not Good(イケてない点)

  • 「清里フットパス」の「三社参りハイキングマップ」チラシには「『風の又三郎』のヒントになったかもとして、近年人気になった」とありますが、農村の高齢化とか限界集落化とかを考えると、再び歴史の隅っこに埋れていきそうな予感が…。

Conclusion(まとめ)

  • ということで、メジャーな観光スポットになってほしいわけではありませんが、今後もほどほどに注目され続ける場所であってほしいとは思います。

Link(関連サイト)

  • 調べてわかってきた「八ヶ岳」/八ヶ岳、風の又三郎、そしてトトロの関係・・・
調べてわかってきた「八ヶ岳」/八ヶ岳、風の又三郎、そしてトトロの関係・・・ - pasocomさんの日記
2014年04月03日: 編笠山からギボシ、西岳を周回して帰ってきた後、「そういえば甲斐国志では八ヶ岳のことをどう書いているんだろう?」と思い立ち、さっそく調べて見た。すると、甲斐国志にはこんなことが書いてあったのだ。「権現ヶ岳、小岳、赤岳、麻姑岳、風の三郎
八ヶ岳おろし - やまなしINDEX

 

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